6月紫陽花の想い出~傷つきのその先へ
6月の母の誕生日に、母の好きな紫陽花を贈ったのは何度目だろう。
でも、今年でようやく一つ終われたような気がする。
本当に素敵な感性を持つお花屋さんに出会えたから。
紫陽花には特別な想い出がある。
私が中学生のとき、父が大きな交通事故に遭い、生死の境をさ迷った。
幸い1週間か10日ほどで目が覚めたのだが、後遺症がひどく、身体のケガもさることながら、頭部はひどい脳挫傷を起こし、父は色々な感覚の麻痺や失語症、それによって感情障害も起こすことになった。
いわゆる頭部外傷後遺症は、医療技術が進んだからこそ生じてきた病。父の場合も、たまたま脳外科医が当直であったから命拾いしただけ。しかし後からきいたら、それほどのひどいケガなら助けないという医師の判断もあり得たと言う。
本当に何年もの間、父の命とは言え、生かされていて良かったのだろうかと、幼いながらに、大人になってからも何度も考えた。
父が事故に遭ったのは5月の連休明け。
母の誕生日の6月は、宛土もない、終わりの見えない治療に入ったころだったのか。
病院と自宅を行き来する生活の中で、母の髪は真っ白になり、傷んで枝毛だらけになってしまっていたのをよく覚えている。
母の好きな花が紫陽花だと、いつから知っていたのかどうか、忘れてしまったけど。
とにかく母に、誕生日に、紫陽花を贈りたくて、学校帰りに自転車で何軒も花屋さんを回ったのを覚えている。
知っている花屋さん、知らなかった花屋さん。
部活もサボって、2時間以上うろうろしたけれど、見つからず。
当時は紫陽花の時季は短くて、「少し前まではあったけど、この時季はもう花屋には置かないよ」と言われたけれど諦められず。
もう暗くなってしまうからとしぶしぶ別の花を買って帰ったのだ。
色んな思いがぐるぐるとして、母には素直に渡せなくて、玄関にポンと置いた。
手伝いに来てくれていた祖母が「それどうしたの?」と聞いてくれたのに、「ん、買ってきた」としか言えなくて。
母が「ああ、誕生日だからね。ありがとう」と言ってくれたけど、どんな表情をしていたのか。
勝手にガッカリしていた私はそのまま部屋に入ってしまったっけ。
泣くこともできなくて、ただただ、勉強して、部活をやって、ピアノを弾いて。
頑張るだけの日々。
しっかりやっていれば、人はわかってくれる。認めてくれる。
そう思って頑張った。
けれど、そうじゃなかった。
人は、世間は、被害なんて、人に起きた不幸なんて、すぐに忘れてしまうんだ。
そんな風に感じていた。
でもね、違うんだよね。
たった一人に出逢うだけで救われる。
あれから何度贈っても物足りなかった紫陽花だったけれど。
彼女が、どうして、どう感じてくれたのか、わからないのだけれど。
だって、こんな話はたぶん一言もしていない。
母が一番大変だったあの日に私が贈りたかった紫陽花を作ってくれた。
...と彼女から送られてきたアレンジメントの写真を見たときにそう思った。
そして気づいたのは、私はずっと母を救いたかったのだということ。
あの頃のまま、母を救うのは自分じゃなくちゃと思い込んでいたこと。
でもね、母を救うのは私じゃなかった。
当たり前だけど(笑)
母は大好きだった、ずっと続けてきた編み物や手芸、ハンドメイドに救われたから。
本当に好きなことをもう一度見つけて、自分の力で幸せな方へと進んでいるのだから。
これでいいのだ~♪(笑)
素敵な私の(笑)お花屋さん
http://atelier-nocca.com/
感謝を込めて☆

問合せ先
heartful-srs@shizuoka.tnc.ne.jp
臨床心理士 新谷
ツィッター
@mayumyshintani
でも、今年でようやく一つ終われたような気がする。
本当に素敵な感性を持つお花屋さんに出会えたから。
紫陽花には特別な想い出がある。
私が中学生のとき、父が大きな交通事故に遭い、生死の境をさ迷った。
幸い1週間か10日ほどで目が覚めたのだが、後遺症がひどく、身体のケガもさることながら、頭部はひどい脳挫傷を起こし、父は色々な感覚の麻痺や失語症、それによって感情障害も起こすことになった。
いわゆる頭部外傷後遺症は、医療技術が進んだからこそ生じてきた病。父の場合も、たまたま脳外科医が当直であったから命拾いしただけ。しかし後からきいたら、それほどのひどいケガなら助けないという医師の判断もあり得たと言う。
本当に何年もの間、父の命とは言え、生かされていて良かったのだろうかと、幼いながらに、大人になってからも何度も考えた。
父が事故に遭ったのは5月の連休明け。
母の誕生日の6月は、宛土もない、終わりの見えない治療に入ったころだったのか。
病院と自宅を行き来する生活の中で、母の髪は真っ白になり、傷んで枝毛だらけになってしまっていたのをよく覚えている。
母の好きな花が紫陽花だと、いつから知っていたのかどうか、忘れてしまったけど。
とにかく母に、誕生日に、紫陽花を贈りたくて、学校帰りに自転車で何軒も花屋さんを回ったのを覚えている。
知っている花屋さん、知らなかった花屋さん。
部活もサボって、2時間以上うろうろしたけれど、見つからず。
当時は紫陽花の時季は短くて、「少し前まではあったけど、この時季はもう花屋には置かないよ」と言われたけれど諦められず。
もう暗くなってしまうからとしぶしぶ別の花を買って帰ったのだ。
色んな思いがぐるぐるとして、母には素直に渡せなくて、玄関にポンと置いた。
手伝いに来てくれていた祖母が「それどうしたの?」と聞いてくれたのに、「ん、買ってきた」としか言えなくて。
母が「ああ、誕生日だからね。ありがとう」と言ってくれたけど、どんな表情をしていたのか。
勝手にガッカリしていた私はそのまま部屋に入ってしまったっけ。
泣くこともできなくて、ただただ、勉強して、部活をやって、ピアノを弾いて。
頑張るだけの日々。
しっかりやっていれば、人はわかってくれる。認めてくれる。
そう思って頑張った。
けれど、そうじゃなかった。
人は、世間は、被害なんて、人に起きた不幸なんて、すぐに忘れてしまうんだ。
そんな風に感じていた。
でもね、違うんだよね。
たった一人に出逢うだけで救われる。
あれから何度贈っても物足りなかった紫陽花だったけれど。
彼女が、どうして、どう感じてくれたのか、わからないのだけれど。
だって、こんな話はたぶん一言もしていない。
母が一番大変だったあの日に私が贈りたかった紫陽花を作ってくれた。
...と彼女から送られてきたアレンジメントの写真を見たときにそう思った。
そして気づいたのは、私はずっと母を救いたかったのだということ。
あの頃のまま、母を救うのは自分じゃなくちゃと思い込んでいたこと。
でもね、母を救うのは私じゃなかった。
当たり前だけど(笑)
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本当に好きなことをもう一度見つけて、自分の力で幸せな方へと進んでいるのだから。
これでいいのだ~♪(笑)
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