心理職とは何か?~心理職による訪問支援を通して見えてくること
東日本大震災が起きたのが2011年3月。早7年という歳月が流れたが、私は色々縁あって、その被災者支援に今も携わっている。
東日本大震災の特徴として、福島県での原発事故が挙げられる。その原発事故の避難者数はピーク時で16万人、現在でも5万人。
静岡県にも約500人、200世帯ほどが暮らしている。私はその訪問相談支援に携わり、4年半が経とうとしている。
少し話は変わるが、心理職というのはつくづく曖昧で、わかりにくい職種だと思う。昨年の法案の成立によって、公認心理師という、日本における心理職としては初めて国家資格ができることになったわけだが。その段階になっても尚、おそらく当の心理職の者自身も、心理職がなんであるかなんて、わかっていないんじゃないか。
というのも、つい先だって、訪問相談支援は心理の仕事ではない。などとほざ...(失礼(苦笑))言われたのだ。
現に訪問相談支援をしている私の目の前で。
絶句して、私には??がとんだ。
理由をきくと、だって被災地では精神科医は身分すら隠して、訪問相談をしていたから。
は?
私たちは精神科医じゃないじゃん。心理職じゃん。
私達の仕事を何だと思っているんだろう?
そうね。
あなた達は心理職だけの訪問相談支援に携わっていないわね。
やってみてもいないのに。わかった顔するのね。
上等だ。
知ってた?心理職なんて、誰も知らない仕事だって。精神科医以上に知られてない、理解されていない仕事だって。
そしてだからこそ、まず与えられたことをやってみるのが仕事だってこと。
ちなみに、傾聴にはやったことの無いことを吸収する力はあっても、決して知ったかぶりや自分がやったふりはしてはいけないんだということを、知らなかった??
さあ、私の飲み込んだ暴言はさておいて(笑)
心理職のアウトリーチというのは確かに、様々にリスクはある。
専門である心理職の側にも、受け手であるクライアントの側にも。
正確に言うと、災害時支援におけるアウトリーチでは、クライアントはまだ、クライアントであるかどうかわからないとも言える。
ただ、災害時はまた誰にとっても心理的危機に曝されているときである。支援希求やまして心理的な意味での相談希求は自覚的では無いにせよ、だからこそ注意深く寄り添っていく必要はあるのではないだろうか。
私達心理職はどちらかというと、相談室という限られた空間の中で話を聴くことが多い。
だからその中で、出来る限りの想像力を働かせていかないと、その人の問題が見えないことも多い。
アウトリーチでは、それをリアルに飛び込んでいって見れるわけなんだけど。
それを枠がなくて怖いと言った人がいた。
それは確かにそう。
相談室内ではどっぷりと共感してればいいけれど、相手の家の中となったらそうはいかない。
だけど、相談室内でカウンセリングする、話を聴くということはそもそも、ひどく不自然で、ともすると傲慢さを作り出すものかもしれない。
相談室内が自分たち心理職の職場であり、そこに来ない限りクライアントでないとか。
来ることにどれだけの大きなハードルがあるかなんて、忘れていて。
来て当然。だから心を開いて当然。のような感覚を心理職として持っているのだとしたら、それは傲慢以外の何物でも無いのではないだろうか。
クライアントを訪問して、散らかった室内を、手を出して、片付けるのではなく、かと言ってボーッと見過ごす訳でもなく。
時に役に立たない娘や嫁の振りをしながら(だってそうでないと、「やって欲しい」オーラを受けなきゃならないから)、心理職を全うする。
その人の心理的な健康や健全な生活を取り戻すためのヒントを必死に探すのだ。
アウトリーチは心理職にとっては、とてもしんどい作業でもある。役に立たない時も多いから、無力感も大きい。
そんな中で、一つ思い浮かべる姿がある。
誰のエピソードだったか。ある治療者の優れた治療者である例えの一つとして、ある鬱々と日々を暮らしていた女性に一言、「花を植えなさい」と言った。しばらくするとその女性の鬱はみるみる良くなって言ったという。
その人は以前、花の手入れが好きで、端正こめて育てていた。その名残を、その女性の自宅の庭先に垣間見たのだという。
これはおそらく、アウトリーチでなければ、わからなかったことではないか。
快復してくれば、その方はかつての自分の好きだったこと、趣味などについて語ることはあっても。
鬱々と落ちた状態ではまず、相談室内で聞き取ることはできないだろうし、イメージもしづらい。
どこにいても、どういう形でも、何をしていても、心理職であることを忘れなければ。
心理職だから心理的なことを聴き出せるはず(聴き出すべき?)とか。傲慢な意味ではなく、あるがままを観察し、全身で聴き取っていく作業の中に、その人の快復やより健全な生活のためのヒントを見つけていく。
それが本来的な意味での心理の仕事なんだとしたら、どうだろう。
それは時には余計なことかもしれない。
でもお節介でもいいじゃない。
余計なお世話と言われたら、そんな雰囲気でも感じたら言えばいい。「ごめんね。」と普通に。そして、もしできるなら、丁寧に伝えた理由を伝えること。
私の中で忘れられないのは、小2のとき同じクラスだった場面緘黙の女の子。
なぜだかその子と二人遊んだ時に、私はすごく困ったわけでもなく、絵本を二人で取り出して、代わる代わる読み聞かせを始めた。その子も小さい声で、私の好きな絵本を読んでくれて楽しかった。
その後、その子は給食の牛乳を頑張って飲んで、それをみんなで応援したり。小さな声で、教室でも音読するようになったり。徐々に変わり始めた。
それは断片的な記憶だけれど、私の中に残っている。あれは一つの心理的な支援ではなかったか。
そうした一つ一つを場所を選ばず、形に拘らず、柔らかに、ただただ、続けていけたらと思うのです。
臨床心理士 新谷
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東日本大震災の特徴として、福島県での原発事故が挙げられる。その原発事故の避難者数はピーク時で16万人、現在でも5万人。
静岡県にも約500人、200世帯ほどが暮らしている。私はその訪問相談支援に携わり、4年半が経とうとしている。
少し話は変わるが、心理職というのはつくづく曖昧で、わかりにくい職種だと思う。昨年の法案の成立によって、公認心理師という、日本における心理職としては初めて国家資格ができることになったわけだが。その段階になっても尚、おそらく当の心理職の者自身も、心理職がなんであるかなんて、わかっていないんじゃないか。
というのも、つい先だって、訪問相談支援は心理の仕事ではない。などとほざ...(失礼(苦笑))言われたのだ。
現に訪問相談支援をしている私の目の前で。
絶句して、私には??がとんだ。
理由をきくと、だって被災地では精神科医は身分すら隠して、訪問相談をしていたから。
は?
私たちは精神科医じゃないじゃん。心理職じゃん。
私達の仕事を何だと思っているんだろう?
そうね。
あなた達は心理職だけの訪問相談支援に携わっていないわね。
やってみてもいないのに。わかった顔するのね。
上等だ。
知ってた?心理職なんて、誰も知らない仕事だって。精神科医以上に知られてない、理解されていない仕事だって。
そしてだからこそ、まず与えられたことをやってみるのが仕事だってこと。
ちなみに、傾聴にはやったことの無いことを吸収する力はあっても、決して知ったかぶりや自分がやったふりはしてはいけないんだということを、知らなかった??
さあ、私の飲み込んだ暴言はさておいて(笑)
心理職のアウトリーチというのは確かに、様々にリスクはある。
専門である心理職の側にも、受け手であるクライアントの側にも。
正確に言うと、災害時支援におけるアウトリーチでは、クライアントはまだ、クライアントであるかどうかわからないとも言える。
ただ、災害時はまた誰にとっても心理的危機に曝されているときである。支援希求やまして心理的な意味での相談希求は自覚的では無いにせよ、だからこそ注意深く寄り添っていく必要はあるのではないだろうか。
私達心理職はどちらかというと、相談室という限られた空間の中で話を聴くことが多い。
だからその中で、出来る限りの想像力を働かせていかないと、その人の問題が見えないことも多い。
アウトリーチでは、それをリアルに飛び込んでいって見れるわけなんだけど。
それを枠がなくて怖いと言った人がいた。
それは確かにそう。
相談室内ではどっぷりと共感してればいいけれど、相手の家の中となったらそうはいかない。
だけど、相談室内でカウンセリングする、話を聴くということはそもそも、ひどく不自然で、ともすると傲慢さを作り出すものかもしれない。
相談室内が自分たち心理職の職場であり、そこに来ない限りクライアントでないとか。
来ることにどれだけの大きなハードルがあるかなんて、忘れていて。
来て当然。だから心を開いて当然。のような感覚を心理職として持っているのだとしたら、それは傲慢以外の何物でも無いのではないだろうか。
クライアントを訪問して、散らかった室内を、手を出して、片付けるのではなく、かと言ってボーッと見過ごす訳でもなく。
時に役に立たない娘や嫁の振りをしながら(だってそうでないと、「やって欲しい」オーラを受けなきゃならないから)、心理職を全うする。
その人の心理的な健康や健全な生活を取り戻すためのヒントを必死に探すのだ。
アウトリーチは心理職にとっては、とてもしんどい作業でもある。役に立たない時も多いから、無力感も大きい。
そんな中で、一つ思い浮かべる姿がある。
誰のエピソードだったか。ある治療者の優れた治療者である例えの一つとして、ある鬱々と日々を暮らしていた女性に一言、「花を植えなさい」と言った。しばらくするとその女性の鬱はみるみる良くなって言ったという。
その人は以前、花の手入れが好きで、端正こめて育てていた。その名残を、その女性の自宅の庭先に垣間見たのだという。
これはおそらく、アウトリーチでなければ、わからなかったことではないか。
快復してくれば、その方はかつての自分の好きだったこと、趣味などについて語ることはあっても。
鬱々と落ちた状態ではまず、相談室内で聞き取ることはできないだろうし、イメージもしづらい。
どこにいても、どういう形でも、何をしていても、心理職であることを忘れなければ。
心理職だから心理的なことを聴き出せるはず(聴き出すべき?)とか。傲慢な意味ではなく、あるがままを観察し、全身で聴き取っていく作業の中に、その人の快復やより健全な生活のためのヒントを見つけていく。
それが本来的な意味での心理の仕事なんだとしたら、どうだろう。
それは時には余計なことかもしれない。
でもお節介でもいいじゃない。
余計なお世話と言われたら、そんな雰囲気でも感じたら言えばいい。「ごめんね。」と普通に。そして、もしできるなら、丁寧に伝えた理由を伝えること。
私の中で忘れられないのは、小2のとき同じクラスだった場面緘黙の女の子。
なぜだかその子と二人遊んだ時に、私はすごく困ったわけでもなく、絵本を二人で取り出して、代わる代わる読み聞かせを始めた。その子も小さい声で、私の好きな絵本を読んでくれて楽しかった。
その後、その子は給食の牛乳を頑張って飲んで、それをみんなで応援したり。小さな声で、教室でも音読するようになったり。徐々に変わり始めた。
それは断片的な記憶だけれど、私の中に残っている。あれは一つの心理的な支援ではなかったか。
そうした一つ一つを場所を選ばず、形に拘らず、柔らかに、ただただ、続けていけたらと思うのです。
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2018年04月07日 Posted by しんまゆ at 02:29 │Comments(0) │フクシマ
静岡の中のフクシマ~原発避難者の今
311から6年が過ぎた。
福島原発による避難者は全国に約7万人弱。
東京都、約5,000人。静岡県内でも約600人弱、約200世帯ほどいる。
静岡の中にもフクシマはあるのだ。
避難指示によるもの、自主的なもの、避難の事由は様々。
私は心のケアという訪問相談による支援を請け負って3年。
”どうせ何もできないし、必要ないだろう”
どこからも、3年前からすでにそんな空気の中、マイナスからのスタートだった。
そして現在。6年も経ったのだから...?
今年度末、避難者への住宅無償提供が終わり、一部補助へと切り替わっていく。
もはや支援など必要ないのだろうか?
震災の影響を受けていない人から見れば、家賃を払う必要のなかった6年。
でも震災と原発事故の影響をうけ避難してきた人から見れば、あっという間。
どう生きていいのか、帰れるのか、帰って大丈夫なのか。
傷ついたままの6年。
どうしていいかわからないままだった6年。
将来が見通せなかった6年。
6年も...じゃないのだ。
私たちはどうあればいいのか。
それでも前を向いていこう。
そっと背中を支えるから。
良かったら、一緒に。
ここで暮らしていこう。
ただそんな気持ちでいればいい。
静岡に来たのも、何かの縁。
少なくとも、私の出会った福島からの方たちは、静岡のことをこう言ってくれた。
気候が穏やかで、静岡は人も穏やかで親切だね。
と。
辛い想いをしてきた。
決められなかった6年を責めることなんて、誰にもできない。
賠償は、たとえ貰ってる人であっても、それは被害を受けた賠償なのだから。
権利であって、棚ぼた的なご褒美なんかではないわけだから。
それぞれの事情、それぞれの時間の流れ。
それぞれの傷つきと共にあること。
傷つきはいつも生々しく、色褪せない。
本当に癒されるその時まではずっと。
311の出来事と、静岡の中にもフクシマがあることを、どうか忘れずに。
その人の生きづらさの中に、フクシマがあるのかもしれないことを意識して見てほしい。
もしかしたら...と考えてみる。本当に聴き始める。
たとえそうでなくても、一つ思いやって付き合い始めることは、本当の思いやりや優しさになるし、その人の癒しに繋がっていくはずだから。

臨床心理士 新谷
Facebook
http://www.facebook.com/mayumi.shintani.12
ツィッター
@mayumyshintani
連絡先:
メール heartful-srs@shizuoka.tnc.ne.jp
☆お試しセッション
1回のみ 30分3,000円
(対面、Skype、毎月計5名まで)
☆お申し込みフォーム
https://ws.formzu.net/fgen/S99793579/
☆カウンセリング
初回90分 8,000円+税
以降50分 6,000円+税
5回数券 30,000円(税込)
☆トラウマへのホログラフィートーク
単回 8,000円+税
5回 30,000円(税込)
☆セルフリカバリープログラム~本当の自分に出会うためのプログラム
主にAC(アダルトチルドレンの方対象)
初回カウンセリング込み
家庭内の暴力に関する心理教育5回+トラウマへのホログラフィートーク6回+振返り回
60,000円(税込)
☆いずれも、Skypeでのセッション対応可能です。
福島原発による避難者は全国に約7万人弱。
東京都、約5,000人。静岡県内でも約600人弱、約200世帯ほどいる。
静岡の中にもフクシマはあるのだ。
避難指示によるもの、自主的なもの、避難の事由は様々。
私は心のケアという訪問相談による支援を請け負って3年。
”どうせ何もできないし、必要ないだろう”
どこからも、3年前からすでにそんな空気の中、マイナスからのスタートだった。
そして現在。6年も経ったのだから...?
今年度末、避難者への住宅無償提供が終わり、一部補助へと切り替わっていく。
もはや支援など必要ないのだろうか?
震災の影響を受けていない人から見れば、家賃を払う必要のなかった6年。
でも震災と原発事故の影響をうけ避難してきた人から見れば、あっという間。
どう生きていいのか、帰れるのか、帰って大丈夫なのか。
傷ついたままの6年。
どうしていいかわからないままだった6年。
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6年も...じゃないのだ。
私たちはどうあればいいのか。
それでも前を向いていこう。
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静岡に来たのも、何かの縁。
少なくとも、私の出会った福島からの方たちは、静岡のことをこう言ってくれた。
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と。
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決められなかった6年を責めることなんて、誰にもできない。
賠償は、たとえ貰ってる人であっても、それは被害を受けた賠償なのだから。
権利であって、棚ぼた的なご褒美なんかではないわけだから。
それぞれの事情、それぞれの時間の流れ。
それぞれの傷つきと共にあること。
傷つきはいつも生々しく、色褪せない。
本当に癒されるその時まではずっと。
311の出来事と、静岡の中にもフクシマがあることを、どうか忘れずに。
その人の生きづらさの中に、フクシマがあるのかもしれないことを意識して見てほしい。
もしかしたら...と考えてみる。本当に聴き始める。
たとえそうでなくても、一つ思いやって付き合い始めることは、本当の思いやりや優しさになるし、その人の癒しに繋がっていくはずだから。

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以降50分 6,000円+税
5回数券 30,000円(税込)
☆トラウマへのホログラフィートーク
単回 8,000円+税
5回 30,000円(税込)
☆セルフリカバリープログラム~本当の自分に出会うためのプログラム
主にAC(アダルトチルドレンの方対象)
初回カウンセリング込み
家庭内の暴力に関する心理教育5回+トラウマへのホログラフィートーク6回+振返り回
60,000円(税込)
☆いずれも、Skypeでのセッション対応可能です。
2017年03月13日 Posted by しんまゆ at 20:00 │Comments(0) │フクシマ
傷ついた人に寄り添うには
「昔のことは水に流して、今を大切に」
というのは、本当に前向きなことなのだろうか?
そして可能だろうか?
認知行動療法を用いて、認知すなわち捉え方を修正して、感情や感覚、行動を変えていきたい。
などと、カウンセリングを訪れる方もいる。
認知すなわち捉え方の修正は、ある程度は可能である。でも、その当時感じた感情や感覚を修正することはできないと思う。
その傷ついたできごと、大きな衝撃を受けたできごとについて、むしろしっかりと感情や感覚を捉えて、そして過去してあげる。
そんな作業が大切なのだ。
だから丸ごと水に流すなんてできない。
だからどうか傷ついた人に、それを訴えている人に、
「忘れなさい」とか
「昔のことをいつまで言っているんだ」
なんて言わないであげてほしい。
「今が良ければ良いじゃないか」
なんて、それはその人が考えて決めることだ。
過去の傷ついたできごとを繰り返し聞いていて、もう充分聞いてあげただろう。
なのにまだ...
などと思って、イライラや怒りすら感じたのなら、「忘れなさい」などと言う前に、話を聞いている自分の限界を感じるべきだ。
「あなたのためを思って...」
なんてことほど、役に立たないものはないからだ。
そんな方々に寄り添うために、私たちカウンセラーが存在する。
話を聞いていたはずが、自分の手に余って、自分勝手に傷ついた人をさらに傷つけることになる前に、どうか専門家の手に委ねて欲しい。
自分たちのやり方、考え方、捉え方で、傷ついた人を説得するようなら、それもやはり暴力だと思う。
「あなたのためを思って...」というのは、そもそも支配以外のなにものでもない。
"思いやり"が大切にされる日本の中で、そのままの感情や感覚を大切にしていくことは、本当に難しい。
でも、まずは自分の感情や感覚を見てみること、評価せずちゃんととらえることじゃないだろうか。
日々自分に戻ること。
優しくありたい。
でもそのためには、心にも筋トレが必要だ。
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というのは、本当に前向きなことなのだろうか?
そして可能だろうか?
認知行動療法を用いて、認知すなわち捉え方を修正して、感情や感覚、行動を変えていきたい。
などと、カウンセリングを訪れる方もいる。
認知すなわち捉え方の修正は、ある程度は可能である。でも、その当時感じた感情や感覚を修正することはできないと思う。
その傷ついたできごと、大きな衝撃を受けたできごとについて、むしろしっかりと感情や感覚を捉えて、そして過去してあげる。
そんな作業が大切なのだ。
だから丸ごと水に流すなんてできない。
だからどうか傷ついた人に、それを訴えている人に、
「忘れなさい」とか
「昔のことをいつまで言っているんだ」
なんて言わないであげてほしい。
「今が良ければ良いじゃないか」
なんて、それはその人が考えて決めることだ。
過去の傷ついたできごとを繰り返し聞いていて、もう充分聞いてあげただろう。
なのにまだ...
などと思って、イライラや怒りすら感じたのなら、「忘れなさい」などと言う前に、話を聞いている自分の限界を感じるべきだ。
「あなたのためを思って...」
なんてことほど、役に立たないものはないからだ。
そんな方々に寄り添うために、私たちカウンセラーが存在する。
話を聞いていたはずが、自分の手に余って、自分勝手に傷ついた人をさらに傷つけることになる前に、どうか専門家の手に委ねて欲しい。
自分たちのやり方、考え方、捉え方で、傷ついた人を説得するようなら、それもやはり暴力だと思う。
「あなたのためを思って...」というのは、そもそも支配以外のなにものでもない。
"思いやり"が大切にされる日本の中で、そのままの感情や感覚を大切にしていくことは、本当に難しい。
でも、まずは自分の感情や感覚を見てみること、評価せずちゃんととらえることじゃないだろうか。
日々自分に戻ること。
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2016年03月13日 Posted by しんまゆ at 00:00 │Comments(0) │フクシマ
ニッポンの幸せ再考 ~家庭のしあわせのカタチ
家庭において、何を大切にすべきか?
何よりも大切にすべき、重んじられるべきは、家業の担い手であり稼ぎ手である父親と、父親の意見であった時代は、誰もがわかっているように終わった。
社会の序列や規律を重んじることすらも、もはやないのかもしれないと思うこともある。
それらはどれも守りにはなり得ないし、安心にはつながらない今の時代。
家庭が人間が回復し、ある時期には子どもが育つ場であるとするのなら、家庭の幸せにとって、何より大切なのは安心、安全であること。
安心、安全であるために、誰もが家を持つこと、文字通り安全に暮らし、眠れることはが当たり前になっていたはずの日本。
でもそこに、5年前の震災が起きた。「そんなものなんの役にも立たない」誰もがそう感じてしまった。
ではどうしたら安心、安全と感じられるのか?
だれもが自分の感情や感覚を大切にされることなのではないか。
「心地いい」と思うことが許されわ「好き」と思うことや「楽しい」と思うことをすることができる。
逆に「いやだ」と思うことを許され、「いやだ」ということができる。「苦しい」と思うことを強要されない。
もちろん、自ら「苦しい」と思ってもそこに意味を感じて取り組む。
心の自由があるということ。
どうか家族の「好き」や「嫌い」に耳を傾けて欲しい。
少しくらいワガママであってもいい。少しだけ...あくまでも少しだけ、誰かがガマンすれば為しうることならば。
そして、譲ってもらった分をちゃんと感謝して、返せる。
みんなの「好き」を大切にする。大切にする方法を考えられる。
そんな家庭にしあわせが訪れるんじゃないだろうか。
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何よりも大切にすべき、重んじられるべきは、家業の担い手であり稼ぎ手である父親と、父親の意見であった時代は、誰もがわかっているように終わった。
社会の序列や規律を重んじることすらも、もはやないのかもしれないと思うこともある。
それらはどれも守りにはなり得ないし、安心にはつながらない今の時代。
家庭が人間が回復し、ある時期には子どもが育つ場であるとするのなら、家庭の幸せにとって、何より大切なのは安心、安全であること。
安心、安全であるために、誰もが家を持つこと、文字通り安全に暮らし、眠れることはが当たり前になっていたはずの日本。
でもそこに、5年前の震災が起きた。「そんなものなんの役にも立たない」誰もがそう感じてしまった。
ではどうしたら安心、安全と感じられるのか?
だれもが自分の感情や感覚を大切にされることなのではないか。
「心地いい」と思うことが許されわ「好き」と思うことや「楽しい」と思うことをすることができる。
逆に「いやだ」と思うことを許され、「いやだ」ということができる。「苦しい」と思うことを強要されない。
もちろん、自ら「苦しい」と思ってもそこに意味を感じて取り組む。
心の自由があるということ。
どうか家族の「好き」や「嫌い」に耳を傾けて欲しい。
少しくらいワガママであってもいい。少しだけ...あくまでも少しだけ、誰かがガマンすれば為しうることならば。
そして、譲ってもらった分をちゃんと感謝して、返せる。
みんなの「好き」を大切にする。大切にする方法を考えられる。
そんな家庭にしあわせが訪れるんじゃないだろうか。
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2016年03月11日 Posted by しんまゆ at 20:00 │Comments(0) │日常の想い│フクシマ
フクシマからの避難者を訪ねて ~震災から4年がすぎた現在の人々の心象~
つい先日、福島県から静岡県への避難者宅への家庭訪問を実施しました。
昨年度より福島県から静岡県臨床心理士会に委託され、私はその県臨床心理士会の一員として、家庭訪問を行っています。
手探りで昨年度末から本格的にスタートしましたが、そこには「被災による避難者」というだけでは括れない、さまざまな家族の姿、人々の想いがありました。
福島県からの避難者宅へは事前アンケートを実施後、連絡先を頂けたお宅にはまず電話で聴取を行い、アポをとり、家庭訪問に伺わせていただいています。
臨床心理士としては、こうしたアウトリーチによるというのは、特殊なことではありますし、面談という枠...言ってみるとカウンセリングを行うためのカウンセラーの側の基本的なペース...を作りにくいとは言えます。
でもそうした本来の枠を越え、一歩家庭の中に踏み込んでいく関わりが必要とされているのだと理解し、私たちは「ふくしま家庭のサポート」と名付けています。
東日本大震災から4年が経ち、少しずつ過去になりつつある中、あえてスタートしたこの事業。
初回訪問は福島県の職員の方と一緒に行うのですが、その方からいただいた大切な言葉があります。
「公的支援が途絶えた後からが本当の支援です」
私たちは「被災による避難者」にどんなイメージを抱くでしょうか。
"話を聴く"ことを生業にしながらも、一つ一つ訪問先の方のお話を伺いながら、私の中にもまたある「被災による避難者」のイメージを手放していく作業のように感じることがあります。
今回の震災の場合、ご存じのの通り福島県は原発という問題もまた抱えています。
「戻りたいけど戻れない」
「いつ戻れるのか」
そしてその決断をすることができるときはいつなのかすら、わからないまま。
一方で、公的な支援は当然のことのように、年々減らされていきます。
どの方も避難生活ではありますが、不満を持っているわけではありません。
むしろ、不満を抱いてはいけない。
良くしていただいて感謝している。
感謝しなくては。
...と話される方が多くいます。
それはともすると、避難者であるがゆえの
「罪悪感」のように私の目には映ることがあります。
「被災者であるから」失ったことによるダメージはもちろんありますし、それは誰もが想像することかもしれません。でもそれが、家族にとって、その人にとって、どんな影響となって表れるか、表れてきているか。
想像の範囲を越え、その家庭によってさまざまな広がりを見せています。ここに全ては書けませんが、家庭の、個人の問題が、複雑に巧妙に、震災の被害に絡み合い、その人の人生を揺るがす大きなものとなっていることは確かです。
今回の震災特有の"見えない恐怖"もまたさまざまな形で、大きな葛藤を生んでいます。
福島県は本来なら自然豊かな土地であり、親戚家族のつながりの強い、正に"絆"というのはこの県を表すのにぴったりなワードだと感じます。
でも帰れない。
帰ったとしても、以前のようには故郷の自然にも触れられない(地域もある)。
今の静岡での生活は安全だけれど、本当の安心ではない。
なぜなら今までのような家族の形はないから。
暮らしには慣れたけれど、まるで長い夢の中にいるようだ...とどこか現実感が持てないのも頷けます。
私たちは聴くことしかできないことも多くあります。
でもそれは、こうした特殊なアウトリーチ活動に限ったことではありません。
3.11があって良かったとは誰も思いません。
でも、避難してきた場所としてではなく、「静岡にきて良かった」と「きた場所が静岡で良かった」と思っていただけるよう祈りながら。
迎え入れる私たちは「被災による避難者」というファインダーを外して。
心を尽くしたいと思います。

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臨床心理士 新谷
昨年度より福島県から静岡県臨床心理士会に委託され、私はその県臨床心理士会の一員として、家庭訪問を行っています。
手探りで昨年度末から本格的にスタートしましたが、そこには「被災による避難者」というだけでは括れない、さまざまな家族の姿、人々の想いがありました。
福島県からの避難者宅へは事前アンケートを実施後、連絡先を頂けたお宅にはまず電話で聴取を行い、アポをとり、家庭訪問に伺わせていただいています。
臨床心理士としては、こうしたアウトリーチによるというのは、特殊なことではありますし、面談という枠...言ってみるとカウンセリングを行うためのカウンセラーの側の基本的なペース...を作りにくいとは言えます。
でもそうした本来の枠を越え、一歩家庭の中に踏み込んでいく関わりが必要とされているのだと理解し、私たちは「ふくしま家庭のサポート」と名付けています。
東日本大震災から4年が経ち、少しずつ過去になりつつある中、あえてスタートしたこの事業。
初回訪問は福島県の職員の方と一緒に行うのですが、その方からいただいた大切な言葉があります。
「公的支援が途絶えた後からが本当の支援です」
私たちは「被災による避難者」にどんなイメージを抱くでしょうか。
"話を聴く"ことを生業にしながらも、一つ一つ訪問先の方のお話を伺いながら、私の中にもまたある「被災による避難者」のイメージを手放していく作業のように感じることがあります。
今回の震災の場合、ご存じのの通り福島県は原発という問題もまた抱えています。
「戻りたいけど戻れない」
「いつ戻れるのか」
そしてその決断をすることができるときはいつなのかすら、わからないまま。
一方で、公的な支援は当然のことのように、年々減らされていきます。
どの方も避難生活ではありますが、不満を持っているわけではありません。
むしろ、不満を抱いてはいけない。
良くしていただいて感謝している。
感謝しなくては。
...と話される方が多くいます。
それはともすると、避難者であるがゆえの
「罪悪感」のように私の目には映ることがあります。
「被災者であるから」失ったことによるダメージはもちろんありますし、それは誰もが想像することかもしれません。でもそれが、家族にとって、その人にとって、どんな影響となって表れるか、表れてきているか。
想像の範囲を越え、その家庭によってさまざまな広がりを見せています。ここに全ては書けませんが、家庭の、個人の問題が、複雑に巧妙に、震災の被害に絡み合い、その人の人生を揺るがす大きなものとなっていることは確かです。
今回の震災特有の"見えない恐怖"もまたさまざまな形で、大きな葛藤を生んでいます。
福島県は本来なら自然豊かな土地であり、親戚家族のつながりの強い、正に"絆"というのはこの県を表すのにぴったりなワードだと感じます。
でも帰れない。
帰ったとしても、以前のようには故郷の自然にも触れられない(地域もある)。
今の静岡での生活は安全だけれど、本当の安心ではない。
なぜなら今までのような家族の形はないから。
暮らしには慣れたけれど、まるで長い夢の中にいるようだ...とどこか現実感が持てないのも頷けます。
私たちは聴くことしかできないことも多くあります。
でもそれは、こうした特殊なアウトリーチ活動に限ったことではありません。
3.11があって良かったとは誰も思いません。
でも、避難してきた場所としてではなく、「静岡にきて良かった」と「きた場所が静岡で良かった」と思っていただけるよう祈りながら。
迎え入れる私たちは「被災による避難者」というファインダーを外して。
心を尽くしたいと思います。

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臨床心理士 新谷